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心療内科通院とうつ病治療の終了。病気になって変わった事と、これからの心構え

心療内科に初めて通い、うつ病という診断を受けたのが2010年5月の話。

その後、

  • 仕事をセーブするも悪化の一途(2010年11月まで)
  • 仕事を休職(2010年12月~2011年4月)
  • 復職(2011年4月~)

と歩んできた。

復職後の転機として2012年1月から抗うつ薬の処方がなくなり(最も長く飲んだのは「サインバルタ」という抗うつ薬)、離脱症状に苦しめられたりもしたが、今は落ち着き2012年5月9日の診療内科を卒業することとなった。

とりあえず良くなって本当に嬉しい

しかし、大きな病気や事故に遭遇したことのなかった僕にとって、事件とも言える出来事でそれはまあ色々あった。

この記事の掲載内容は、2019年10月14日時点の情報です。現在の情報とは異なる場合がございますので、あらかじめご了承ください。

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「うつ病」治療中の僕を支えたものは家族と友人

一番大きかったのはやはり家族と支えてくれた人のありがたさを知ったことだろうか。

僕は一人っ子なので、家事とかをはじめとして大抵自分の事は人並み以上に出来る。

なので、いざとなったら別に1人でもいいや的な考えは強かった。でも、こういう事になると今まで出来てたことができなくなるわけで、そうなると支えてくれる人は必須。

僕の場合休職直前に結婚していたから妻の存在が一番大きかったと思う。後は言うまでも無く親、そして仲のいい友人達。

別に僕の事なんてそんな興味ないでしょ?なんて思ってた中、思ってた以上に色んな人が心配してくれて少々驚いた。同時に、

  • こうやって気にかけてくれる人に心配させちゃいけないな
  • いつかは恩返ししなきゃ

という思いは強くなった。

「絆」という言葉は東日本大震災の中で若干薄っぺらいものになった印象があるが、自身の体験踏まえて人が生きて行く上で一番大切にしなきゃいけない事だと思う。

スーパーマンみたいな人だって、1人じゃ生きていけない。

1人で生きているようで色んな人に支えられているモノだ。
例えば金銭的なもので言っても、会社もそうだが傷病手当金などの形で、社会に支えられている面もある。

そんなことに気づけたことも大きかったと思う。

仕事に対する考え方

その延長線上で仕事に対する考え方も変った。

うつ病になった頃、実際の成果とかはさておき、自分でできる事は全部やるなんて考えを持ってた気がする。簡単に言えば、

  • 僕がやらなきゃ
  • 僕ならできるなんて言う過信

結果自滅。

今はタスクを溜め込まない事を基本として、それでもキャパをあげたり効率的にこなす事を目指している。

人に任せられる事は任せて、自分がやらないといけないことを優先する。当たり前と言えばそうなんだが、無理に自分がやらなくていい仕事を抱え込んじゃってる人って案外多いですよね。

今のスタンスになって周りを見るとそう思う事が多くなった。

うつ病になって良かったなんて間違っても思わない。

あんな思いはできればもう経験したくない。ただ、休職期間や職場復帰して今までの仕事をやる中で、これまでの自分を振り返り、良かったこと悪かったこと含めて考え直す機会にはなったと思う。

そして、うつ病になる前と同じとは言わないまでも、普通に仕事ができるようになってこその完治。

職場復帰はゴールではなくスタート。

そういう意味で、うつ病になったのは休息が必要な時期だったんだと最近になってようやく思えるようになった。

つらい時期ではあったが、それを踏まえてようやく前を向けるようになった気がする。

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リアルに死を意識した

うつ病経験を経て、独立しました

2010年からうつ病を患い、休職などを経て会社員生活を続けていましたが、2018年7月に会社員を卒業し独立しました。

チー
安定した収入を失う恐怖はありますが、新しい「働き方」を模索しながら、その記録を発信していきます
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