親になって初めての終戦記念日。「守るもの」を持つと言うこと

今日は終戦記念日。
大事な日という認識はあるものの、社会人になって夏休みというイベントがなくなると、日常の一コマになってしまった感もあり、正直あまり深く考えることは無くなっていた。

ただ、今年は1月1日に長男が生まれ、親になって初めて迎える終戦記念日だ。色々と思う所があったので、その事を書き留めておこうと思う。来年再来年と同じような事を書くかもしれないが、そうすることでいつか「戦争」という事を子供に伝える時の参考になると思うので。

「守るもの」を持つと言うこと

戦争というのは人殺しだ。
人殺しを平気で出来る人間なんてほとんどいないと思う。

なのになぜ戦争ではそれが出来てしまうのか。戦争という極限状態というのも1つあるだろうが、「守るもの」のためにある時人は積極的に人殺しだってやってしまうのだと思う。「守るもの」とは国家だったり組織だったり様々だと思うが、最後は親・配偶者などの親族、そして子供だ。

兄弟のいない僕に取って、守るべき家族というのは結婚して初めて出来た感じがしたが、やはり子供って全然違うなと思う。もう数ヶ月間仕事がかなりしんどいが、頑張れているのはこの子の為だし、活動の原動力でもある。また、この子に危害を加えるような人がいれば、その人に僕は何するか分からない。そういうどす黒い感情も同時に持ってしまったと思う。

「守るもの」を持つと言うことは、それくらい強い力なのだ。

戦争という歴史

戦争というのは国家と家族という「守るもの」を人質にした戦いだと思う。
だからこそ現在の感覚からすれば、信じられないような残虐な行為ができてしまう。だから、戦争という状況において普通に行われていたことを、現在の感覚で判断することなんてできないと思う。そんなことをしてもほとんどの場合は悪なのだ。

後世の人間ができる事は、この時代にあった事を正しく理解し、伝えていくことだと思う。その為には、自分が生まれた国と、現在がどういう経緯で出来上がっているかを知っておく必要がある。

僕は学生時代、日本史が大好きだった。日本史の成績だけは全国模試でもそこそこのランキングだったが、歴史の面白さ、重要性を人に伝えるすべは持っていなかった。理系だから必要無い、世界史の方が楽、とか言われたらどうしようもない。だが、子供心に自国の歴史、特に近現代史が軽視される、歴史教育っておかしいなと思っていた。

戦争は正しいか

戦争はもうやってはいけない。
しかし、「守るもの」の為に戦うこと。これ自体は悪ではないと思う。過去は「守るもの」の為に戦争という選択してはいけない手段を選択してしまったが、その精神自体は否定できない。だからこそ、戦争で亡くなり、国家や家族の為に殉じた人達には敬意を払う必要がある。

学生であろうと、社会人であろうと、年齢が若かろうが年だろうが、「守るもの」を見つける事、これこそがその人の行動の原動力になる事は間違いないと思う。

そんな事を思った、終戦記念日。

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