Hello! Projectに所属するアイドル℃-uteとBerryz工房をご存じだろうか。
両グループは元々ハロプロキッズと呼ばれていて、2002年から活動している。
キッズの名の通り「小学生」から活動していたのだが、僕はその当時モーニング娘。ファンだったのでデビュー当時をよく知っているし、Berryz工房・℃-uteとなった頃の事もよく知っている。
そんな僕だが、ハロプロから離れて数年、モーニング娘。は時々見ていたが℃-uteとBerryz工房はすっかり見なくなっていた。ところが、最近はアイドル熱が復活しておりふと思い立って見てみたのです。
そしたら、驚いた。
ぶっ飛んだと言った方がいいかもしれない。パフォーマンス力が段違い過ぎた。
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まずは動画のご紹介
軽く紹介。まずは℃-uteさん。
続いて今やももちこと嗣永桃子さんが大ブレイク中のBerryz工房さん。
アイドルには基本パフォーマンス論は持ち込まないんだが、ここまで来たらスパガとか含めた他のアイドルと同列に扱うことに違和感を覚えてしまう。ダンスとかのキレが段違い過ぎる。
ハロプロのレッスンが優れてるとか、本人の資質が違うとかそんなんじゃない。
圧倒的な差はキャリア
ハロー!プロジェクトキッズの歴史
Berryz工房と℃-uteのメンバーというのは元々ハロー!プロジェクトキッズと呼ばれた方々。
調べてみたら2002年夏に決まったんですね。つまり、20歳そこそこかそれ以下の子も一杯いるが、芸歴はなんと10年選手。
そりゃあ最近出てきたアイドルちゃんとそこをベースに比べるものね、、、って感じ。デビュー曲的なものは「がんばっちゃえ!」。
今改めて見ても完全に児童、、、こんな頃から
- 年に2回あるハロプロコンサートに出たりしてた
- イベントとかもやってた
当時のファンでもかなり論争があって
- キッズは無理!
- いや、推せる子もいる
なんて今考えたらお花畑な議論していたわけだが、まっ、2年も経たないうちにほとんどの人は推してた。
そんな中あった、ハロー!プロジェクトキッズイベントはある意味僕の中で伝説のイベント。一部の人以外には内緒で行ったのに、蓋を開けてみたら知り合いほとんどが集結していたというw
当時「ここのつ」とかの鈴木愛理さんと握手したっけか、、、
その後、今や知らない人も多いだろうが、モーニング娘。メンバーとユニットを組んでデビューもしていたりする。
その中には当時ハロプロのアレンジャーを担当し始めた平田祥一郎さんが良い仕事しまくった、ZYXの「白いTOKYO」とか隠れた名曲もある。
たった1曲しかリリースしなかった一発ユニットあぁ!の「FIRST KISS」とか。
この曲は何がビビったって、当時売り出し中の田中れいなさんメインの曲と思いきや、鈴木愛理さんの曲だったという。この歌唱力にはぶっ飛んだ。
まあ当時はさすがに口パクですけどね。
でも、その歌唱力は本物だったとこを今は証明している。
Berryz工房について
2004年になってハロプロキッズの選抜メンバーがBerryz工房としてデビューした。
当時小学生だった菅谷梨沙子が所属していたことから、デビュー曲「あなたなしでは生きてゆけない」でMステに出たり色んな意味で話題にはなった。
まあ、色物扱いはされてたと思う。デビュー曲のイベントで千里中央セルシー広場にいったけど、今考えてもビックリするくらいのガラガラっぷりだったので。
ただ、その年の末に5thシングル「恋の呪縛」イベント行った時は埋め尽くすくらいの人がいた。
まあそれでもハロプロヲタの一部が流れた程度。
完全に潮目が変わったのは、初めてオリコンウィークリーでTOP10入りした「スッペシャル ジェネレ~ション」じゃないかと思う。
当時はモーニング娘。も松浦亜弥も完全に落ち目になっていて、楽曲的にもイマイチなものが多くなる中で、楽曲が良すぎた事もあって、この曲をキラーチューンにしてハロプロコンサートという合同コンサートで人気を食うようになった。
その後、Berryz工房では唯一の卒業(石村舞波さん)を経て今まで続いてる。ユニットとしての歴史も相当長い。
℃-ute
結成当時スターティングメンバーで入れ替えもあり得ると言われていたBerryz工房だったが、単独コンサートもやるようになりいつの間にかそんな事はなかったことなった。
なので、残ったハロプロキッズのメンバーはそのままだった。でもね、そこには鈴木愛理さんがいたわけですよ。
ほっとくわけないよね〜というわけで、℃-uteというユニットが2005年夏に出来上がった。
僕は見ていなかったのだが、℃-uteのお披露目はサプライズだった。当時ソロ活動を初めて1年ほどの安倍なつみソロコンサートの「前座」として登場。なっち目当てのファンは唖然となったそうだw
その後も当時のハロプロとしては珍しいプロモーションをして、イベントを毎月のように行い、関東のライブを中心にオープニングアクトとして歌ったりするという活動を行った。一応オリジナル曲はあって「わっきゃない(Z)」という曲1本で戦ってた。
2006年になって当時始まったばかりのハロプロエッグから有原栞菜さんが加入し、インディーズ扱いでCDを全部で4枚リリースした。
歌唱力はあまり高くなかったBerryz工房と違って、鈴木愛理さんと村上愛さんという2本柱があり、ダンススキルも高い℃-uteは現場人気がかなり高くなり、あとはいつメジャーデビューするのかって状況まで来た。
そして、アルバムでのメジャーデビューはしていたが、おそらく内部的にはメジャーシングルデビューの予定も決まっていたであろう2006年11月、事件が起こった。
中心メンバーであるめーぐること村上愛さんの脱退
この頃デート中の写真がネットで流れたりしていたが、所詮マイナーアイドル。
これだけが直接原因とは思えず、真相は未だ闇の中。ただ、個人的には大ショックだった。なんでかって、ハロプロキッズでは村上愛さんを推してたのですよ、、、
こうして℃-uteは歌という部分では鈴木愛理さんのユニットとなり(別に嫌いじゃないけど)、2007年に「桜チラリ」でメジャーデビューした。
既にモーニング娘。・松浦亜弥とその卒業生のソロ活動は完全に停滞期。
Berryz工房も一時期の勢いはなくなっていた中で、2007年の日本レコード大賞で最優秀新人賞受賞するなど、次のハロプロは℃-uteだ!なんて思ったわけだが、その後メンバーの卒業が続き最終的にメンバーは5人まで減ってしまい、ピークらしいピークはなかったような気がするユニット。
それでも鈴木愛理さんと矢島舞美さんの2本柱で2000年代は乗り切ってきた。
そしてメジャーデビュー前から今でも毎年9月10日は「℃-uteの日」と言う事で、イベントを行っている。当時のハロプロでは珍しい、ファンを大切にするユニット。
そして現在。元キッズの皆さんへの目線
ここ数年の活動はそこまで知らないけど、まだ小学生の頃にデビューした頃から大半の活動は見てきてるので思い入れは相当ある。
そんな子が最近はテレビや雑誌のグラビアに出ていたりするわけだから、ちょっとした親の
気分。例えば嗣永桃子さん(僕らは大抵桃子と呼んでた)がテレビなんて出てたら、完全に見守る立場。芸人とかに拾われてるところみたら、もう心の中で拍手喝采w
鈴木愛理さんとかかわいくなるとは思っていたが、いやはやここまでかわいくなるとは思わなかった。10年前一番かわいくなると言われていたのは、菅谷梨沙子さんだったんだが、、、。
しかし、今を予想してつんく♂は10年前にオーディションで合格にしたんだとしたら当時のつんく♂はほんとに恐ろしいと今更ながら思う。
15人いたハロプロキッズの大半が残っているというのも考えてみたらすごいことだ。
AKBとかスパガとか今のアイドルと年はそんなに違わないが、Berryz工房と℃-uteに関しては推すとかっていうのとは違ってしまっている気がする。
訳分からないけど、久々に映像みてそんなことを思った。
℃-uteに関するコラム
2000年頃からのハロプロファンで、Berryz工房と℃-uteはハロプロキッズ時代から応援していました。
昔の記事から、お気に入りをピックアップして紹介します。