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歴史を変えたアイドル。Berryz工房の無期限活動停止まで11年間の活動を振り返る

3/3の日本武道館公演で無期限活動停止という形で、11年間の活動に終止符を打つBerryz工房。

2004年のデビュー当時、僕はハロプロファンをやっていたので(主に見ていたのはモーニング娘。と松浦亜弥)、この頃のことは結構印象に残っている。アイドルの年齢が一気に低年齢化した転換期で、その中心的なアイドルだったと思うからだ。

そういう意味で、Berryz工房はめちゃくちゃ売れたかと言えばそうでもないが、アイドルの歴史を変えたアイドルだと僕は思っている。当時の思い出などを振り返りつつ、Berryz工房の11年間を紹介してみる。

この記事の掲載内容は、2020年12月27日時点の情報です。現在の情報とは異なる場合がございますので、あらかじめご了承ください。

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Berryz工房とは

概要はWikipediaをご覧いただきたいが、

2002年にハロー!プロジェクト・キッズとして活動を開始した15名の小学生の中から選抜された8名で、2004年に結成されたユニット。

現メンバーは清水佐紀、嗣永桃子、徳永千奈美、須藤茉麻、夏焼雅、熊井友理奈、菅谷梨沙子の7名。11年という長い活動期間の中で、メンバーの増減は、石村舞波が2005年に卒業したのみ。

メンバーは、一般人向けとしては「ももち」の相性で知られる嗣永桃子が一番有名だと思うが、グループとしては夏焼雅がセンターにいることが多く、その脇を菅谷梨沙子、嗣永桃子の2名が固めるという構図が多い。

パートもこの3名が多いのは多いが、その比率は突出して高いというものでもなく、メンバーのバランスがよいアイドルユニットだと思う。

また、メンバー全員が小中学生の頃からアイドル活動をしている事もあり、結成当初は子供らしく緊張するシーンも見られたが、10年を超える活動の中で、すっかりこなれて、いい意味ではアットホーム、悪い意味ではちょっと緩いアイドルグループとなっている。

そういう意味でも、ちょっと珍しいアイドルグループと言えるが、それは結成当初から始まっている。

小中学生が中心となった本格的アイドルのパイオニア

Berryz工房が何故歴史を変えたと言えるのかと言えば、2000年代前半に小中学生が中心となり、メジャーで活動するアイドルは皆無な中でデビューし、11年という長期間にわたり活動を継続できたからだ。

例えば90年代後半に活躍したSPEED、加入当時小学生だったモーニング娘。4期メンバーの辻希美と加護亜依のように、アイドルの低年齢化は既に始まっていた。が、SPEEDは年齢を感じさせない本格派で売っていたし、辻加護はあくまでもメンバーの一員だった。

小中学生が中心のアイドルと言えば、アニソンやテレビ番組の企画っぽい活動をしているグループがほとんどだったと思う。

Berryz工房のメンバーは既にハロプロキッズとして活動していたし、一部のメンバーはデビューもしていた(ZYXやあぁ!など)。

なので、当時はハロプロファン以外の知名度は皆無だったと思うが、モーニング娘。の人気が下火になる中で、世代交代という使命を負って、アップフロントグループが満を持して送り込んだのが、Berryz工房というアイドル。

しかし、特に1年目の活動はなかなか厳しいものだった。

閑古鳥だったデビュー曲「あなたなしでは生きてゆけない」のイベント

Berryz工房のデビュー曲「あなたなしでは生きてゆけない」は、いきなりMステに出演するなどかなり売り込まれていたが、小中学生中心のメンバーが歌うにしては大人っぽい曲であまり評判は良くなかった。

普通ならもっと子供っぽい元気な曲を使いそうだが、そうしなかった辺りに「本格派アイドル」を目指すという意図を感じるが、やはり色物で見られていたように思う。

実際僕は、この曲のリリースイベント(リリイベ)を大阪の千里中央セルシー広場で見たのだが、当時ハロプロのアイドルがセルシーでイベントやれば相当数の人が集まるのが当り前な中で、閑古鳥と言っていいレベルの集客だった。

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イベント参加者には現地でこんなチケットが配られたようなのだが、こんなものを配るくらい余裕のあるイベントで、それでもブースは埋まっていなかった。ハロプロファン内でも賛否両論あったデビューで、ファンですら否定的な意見を持つ人が当時は多かったからだと思う。

また、やはり「小中学生中心のアイドルグループのイベント」ってことで、普段ハロプロのイベントやライブで見ない層のお客さんが多かった。

デビュー曲のオリコンランキングは「18位」。色物アイドルとしては売れた方と言えるかもしれないが、プロモーションにかなり力を入れた割にはイマイチな結果だった。

辻加護のユニットW(ダブルユー)とのセット売りで知名度と人気が向上

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その後、デビュー曲を含めシングルを3カ月連続でリリース。

楽曲的には良かったが売り上げもランキングもデビュー曲を超えることはできなかった。それらのシングルをすべて収録した1stアルバム「1st 超ベリーズ」も、ファンの中での評価は高かったが、売り上げは芳しくなかった。

当時僕はCDはとりあえず買っていたし、近くならイベントにも行ったが(当時の感覚では岡山から大阪は近所ですw)、それほど積極的に応援をしていた訳でもなく、やっぱり難しいんだなぁという印象を持っていた。

状況が変わり始めたのが、2004年8月にモーニング娘。を卒業し、直後からW(ダブルユー)というユニットで活動を始めた辻希美・加護亜衣とセットのコンサートツアー「Wスタンバイ!ダブルユー&ベリーズ工房!」を開催してから。

最初の頃は当然辻加護を目当てに見に行っていた人が多かったのだが、ベリがかなりいい、という話が広まり、気がつけばBerryz工房を目当てに行く、ハロプロファンが続出。

アイドルは好きだけど、さすがにキッズは若すぎて、、、

なんて言ってたハロプロファンや、他のアイドルファンにも認知が広がっていく。

2004年最後にリリースした5thシングル「恋の呪縛」は、オリコンランキング13位とついにデビュー曲のランキングを超えた。ただ、それ以上に印象的だったのが、デビュー曲以来で開催されたリリースイベントのお客さんが激増したことだ。

僕はこのイベントをデビュー曲と同じく、大阪の千里中央セルシー広場で見たのだが、ブース内が一杯なのはもちろん、周辺もお客さんで一杯で、わずか半年程度でこうも変わるのかと驚いたことをよく覚えている。

ハロプロの世代交代を印象付けた6thシングル「スッペシャル ジェネレ~ション」

その後、初の単独ツアーが発表されるなど、順調にステップアップしていったが、ハロプロファンとしてはやはり2年目のジンクスが気になっていた。

ハロプロのアイドルはデビューした年は良い楽曲が提供され、人気が出やすいが、2年目以降露出が増えたことによる慣れと飽き、そして楽曲の質が低下することにより、特にファンの中で人気が下降する傾向が強い。

ところが、Berryz工房は2年目こそが飛躍の年だった。

6thシングル「スッペシャル ジェネレ~ション」は、今でもBerryz工房の代表曲だと思うが、これのパワーに多くのファンが驚いた。
当時3G方式の携帯が普及期になり、「第3世代」なんて言葉をよく聞いたのだが、Berryz工房を見ないのは遅れているというくらいのムードになる。

今このPVを見るとまだたどたどしいパフォーマンスだなと思わなくもないが、当時このPVを含めてベリはすごいぞと話題になった。事実、売り上げ的にも初めてオリコンTOP10入りし(7位)、Berryz工房はデビューから1年経ち軌道に乗った。

コンサートツアーもこの年以降、毎年春と秋に継続的に行われ、特に首都圏ではチケットが取りづらいくらいの人気を誇るようになっていく。

学業優先で活動するメジャーアイドル

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そんなBerryz工房の単独ライブに僕が初めて行ったのは、さらに1年経った2006年の春ツアーだ。

当時メンバーは全員中学生になっていたが、その堂々としたパフォーマンスに驚いたことをよく覚えている。ただ、Berryz工房はプロのアイドルとして活動している割に、当時としては珍しい活動方針を取っていた。
※同じハロプロキッズ出身の℃-uteも同様

基本的に学業が優先されるのだ。

Berryz工房のライブ・イベントは、基本的に全て土日に開催される(メンバーが在住している首都圏では例外もあった)。

それでも、例えば運動会などの行事があれば(運動会のためとはもちろん言わないが)、そちらを優先するという取り決めが事務所と保護者間であったのだと思う。「~は学校行事のため出演しません」というのが、わりと普通にあった。

今ではハロプロに限らず、こういう話を聞くのはそれほど珍しくないが、仮にもメジャーで活動しているアイドルが、学校行事優先でライブを欠席するというのは当時あまり聞かなかった。

モーニング娘。のメンバーはどちらかと言えば芸能活動優先とせざるを得なかったと思うが、辻希美・加護亜衣以降新メンバーは中学生というのも珍しくなくなっていた。

結果として特に義務教育期間中のメンバーの活動については、一定の制約を設けることを事務所として決定したのがこの頃だったのしれない。

安定感が魅力のハロプロの中心グループへ

2007年くらいを境に、それまでハロプロを支えてきたモーニング娘。(とその卒業メンバー)・松浦亜弥の人気低下が顕著になってくる。

僕もこの頃から2011年くらいまでのハロプロはほとんどわからないわけだが、相対的にハロー!プロジェクト・キッズ出身のBerryz工房と℃-uteがハロプロの中心的なグループとなっていく。

特にモーニング娘。に関しては、全盛期を支えたメンバーが相次いで卒業し、1度目の世代交代が行われたが、年齢はともかく芸歴という意味では、ハロー!プロジェクト・キッズ出身のメンバーの方が長くなってしまった。

ただ、Berryz工房と℃-uteの人気も下降線で、特に℃-uteはメンバーがどんどん卒業する状態だったが、Berryz工房だけは2年目に卒業した石村舞波以降、卒業もスキャンダルもなく安定した活動を続けていく。

歌やダンスが特別すごい訳でもないし、めちゃくちゃかわいいメンバーがいるわけでもない。

ただ、メンバーの加入や卒業が多いハロプロにおいて、変わらないという「安定感」が魅力のグループとなっていったように思う。年齢は随分違うが、同じくハロプロで活動していた「メロン記念日」にノリは近かったような印象がある。

実際ファンも細く長く続けている人が多く、僕も数年ぶりに見たりしても、見た目とかは当然変わるが、雰囲気が変わらないんですね。

そういうアイドルグループはとても珍しいと思う。

芸歴10年超のアイドルグループ

そして気がつけば、モーニング娘。を除いてハロプロでは一番歴史の長いグループとなった。結成当時小中学生だったメンバーも全員20歳を超え、大半は大学生として学業と並行しながら活動を続けている。

とはいえ、この歳になれば誰でも一度は考えるだろう。

これから自分はどうやって生きていくかか

小学生の頃から大人に囲まれて、働いていたメンバーなので、芸能活動をそのまま続けることもできると思う。だが、逆にいえば彼女たちは10年以上この世界(=アイドル)しか知らないともいえる。

当初は親に言われてオーディションを受けただけかもしれないし、特に思春期は華やかに見える活動の裏で、色々つらい思いもしたと思う。

そんな中で、まさに人生のほとんどをアイドルとしての活動にささげてきたわけだが、やはりここらで一度ゆっくり考えてみたい。その結果としての、無期限活動停止なのかなと僕は思う。

終わりに

ここ数年アイドルというのはメジャーアイドル、地方アイドル、地下アイドルなど数が激増した。10年前ならアイドルが好きというだけで、気持ち悪がられたものだが、今は「教えて!」って言われることすらあり、その変化に驚く。

それくらいアイドルという存在が身近になったとも言える。Berryz工房というグループは、まさにそういう存在で、ブレイクしたとまでは言えないが、2010年代アイドルの礎だ。

今アイドルになる子にBerryz工房のファンが多いのはそういう事だと僕は思う。

ハロー!プロジェクト・キッズとしてデビューして以来、離れていた時期はあるが、完全に忘れていたわけでもないので、この子達は本当に自分の子供のように思えてしまう。

恐らく大半のメンバーは何らかの形で芸能活動を続けると思っているため、別に今生の別れとも思っていないが、デビューからずっと見ていたグループがなくなるのはやはり寂しい。

実はラストライブもFC枠は長年Berryz工房を応援していたかつての相棒に譲ったが、きっとチケットが少しくらいは余ると思っていた。が、知り合いの中でチケットを手に入れたのは何と僕だけw

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まあ、友人がいけるだけ良かったと納得して、今回は潔く断念。ラストライブは後日映像作品として見ようと思う。

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チー
2児の父親でありながらアイドルヲタクという、残念な大人ですが、記事を書き続けていることには、それなりの理由があるんです。
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