2019年5月1日は、新しい元号「令和」がスタートした日だ。
僕は昭和54年(1979年)生まれで、昭和が終わり平成がスタートした時、小学3年生だったので当時のことをわりと覚えている。
昭和天皇が入院していた崩御の半年前くらいから、ニュースで毎日体温や脈拍が報道され、重いムード。
平成の時代が始まってからも全てが「自粛ムード」で、子供心に「大変なことがおこったんだ」というのは理解できた。
対して、2019年5月1日の「令和初日」は年明けかと思うくらいの「祝賀ムード」。
これほど、違うのかと驚いたが、同時に感じたのは、
ってことだった。
平成から令和に変わった時に感じたことを、まとめておこうと思う。
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システムエンジニアの視点では「和暦は非効率なので不要」
21世紀に入ってから大きく変わったことは、日々の生活にコンピューターが数多く使われるようになったことだろう。
ここでいうコンピューターとは、パソコンだけではなく、
- 企業を支える、業務システム
- 携帯電話、スマートフォンなどガジェット類
も含んでいる。
世界共通ともいえるシステムの世界で、日本独自の「和暦」という考え方は存在しない。
日付などタイムスタンプは全て「西暦」で保存される
なので、和暦が表示されている場合、ほとんどは「西暦・和暦変換マスタ」みたいなものを、システム上に保持して表示していることが多い。
今回の改元は、予定日が決まっていたものだったので、システム面からもダミーの元号を設定するなどして、対応は進んでいた。
僕もそんな対応を会社員時代にはやったが、
と思っていた。
システム上和暦が必要な理由は皆無だ。
和暦が必要なのは、ユーザーの都合であり、西暦で容易に代替可能なので、和暦なんてこのタイミングでやめればよいと考えていた。
システムは効率化を目指して導入される。
システムエンジニアの仕事は、それを実現することであり、
最初から非効率なのが分かっている、和暦は不要
というのは、システムエンジニア・プログラマーならほぼ全員1度は感じたことじゃないかと思う。
改元に伴う「時代が変わる感」が凄い
そのような考えを持っていたので、僕はどちらかと言えば、和暦に否定的なイメージを持っていた。
2019年5月1日で変わることは分かっていたが、どちらかといえば「余計な仕事が増えた」という印象の方が強かったからだ。
しかし、2019年4月1日に新元号「令和」が発表されてから、その印象が180度変わった。
- 発表の瞬間を実況中継
- SNSを通じてあっという間に拡散する感じ
などは、現代ならではと思ったが、平成から令和に変わることで、「時代が変わる」ことを実感したからだ。
当たり前の話だが、元号が変わったからと言って、世の中の何かが変わるわけじゃない。
令和初日の2019年5月1日は、あくまでも「5月1日」に過ぎない。
しかし、5月1日は年明けかと思うくらいの、祝賀ムードに包まれていた。
- 新年
- 誕生日
- 進学、進級
など人は何らかの「節目」をきっかけにして行動する。
「何十年に1度しかない節目」は、いろんな人の決断を後押ししていることが分かった。
堂々と「リセット」したり「決断」できるタイミングがあるのは重要
歴史を振り返ると、改元というのはわりと頻繁に行われていた。
悪いことへの関心をそらし、リセットさせる
という目的が多かったように思うが、現代こそこういう瞬間って大事だなと思った。
やめるにやめられないものは、誰しもがたくさん抱えている。
個人・会社などの団体関係なくそれは存在し、改元のタイミングでやめる(リセットする)のは数少ないチャンスといえる。
さらに、5月1日は入籍する人も非常に多かった。
なんて思った人は多かったはずで、改元が「決断を後押しした」面はかなりあると思う。
天皇陛下の崩御に伴う改元で、それはなかなかできない。
日本人のほとんどが祝賀ムードになる、ハッピーな改元だからこそできるわけで、上皇陛下の心中はもちろん分からないが、改めて頭が下がるおもいだ。
終わりに
平成という時代は、情報通信機器の発達で、様々な価値観が変わった時代だった。
令和という時代がどうなるのかは分からないが、変化はさらに早くなるだろう。
僕は基本的な考え方として、過去よりも未来は絶対によくなると思っている。
だからこそ、
と思うわけで、身が引き締まる思いだ。