2014年4月に発表された、モーニング娘。’14のリーダー道重さゆみの卒業。
まだ半年以上あると思っていたが、時の流れが経つのは早いもので遂に卒業コンサートとなる11/26横浜アリーナ公演まで、あと1週間となった。
僕は2000年くらいからのモーニング娘。ファンで、コンサートやグッズに大量のお金をつぎ込んでいわゆる追っかけをやっていたのが2006年くらいまで。
つまり2003年に6期メンバーとして加入した道重さゆみはデビュー当時から知っているし、その当時から在籍するメンバー最後の卒業と言う事で、久々に卒業コンサートに行こうとしてみたり(チケットの確保に失敗)、僕も少々感慨深いものがある。
ただ、今でこそ
- 歴代最高のリーダー
- 最強のアイドル
なんて言われているが、デビュー当時からそうだったわけじゃない。
そういうのはここリーダーに就任した2012年頃からの話であり、僕の印象では
かわいいけど、グループ内では特に歌が苦手で地味なメンバー
というイメージが強い。
それがここまで上り詰めたのだから凄いとしか言いようがないのだが、昔の記憶を掘り起こしながら、道重さゆみの活動履歴を振り返ってみようと思う。
※無駄に長いので、興味ある方は時間のある時読むのをお勧めします
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戦略的に売り出された6期メンバー
道重さゆみは2003年にモーニング娘。6期メンバーとして、藤本美貴・田中れいな・亀井絵里と同時に加入した。6期メンバーというのは、モーニング娘。が未だトップアイドルではあったものの、人気に陰りが出始めていた頃に加入した関係で、そのプロモーションはかなり戦略的だったと思う。
この辺りは2013年に卒業した同じく6期メンバーの田中れいなについて書いた内容と同じなのだが、
一部を紹介すると、
- 当時ソロ活動をしていた藤本美貴を同時に加入させる
- デビュー前からFC会員向けにお披露目イベントという形で握手会等行う
といった内容。特に後者は今じゃ当たり前だが、当時では驚くようなプロモーションだった。
何せ、新メンバーとはいえ
天下のモーニング娘。さんと握手できる
なんて事件だったのだ。
当時は握手会なんて全く無かったし、その半年後くらいに初めてのファンクラブツアーがハワイで開催されたが、要するに
20万払えばモーニング娘。さんと握手できる
って時代だw
その甲斐あってデビュー時点で既に知名度と人気はそれなりにあった6期メンバーだが、当時の印象から言えば
田中>>>>>亀井>道重
くらいだったと思う。
デビュー直後の低迷期
19thシングル「シャボン玉」でデビューした6期メンバー。
最初の地点から1歩抜けていた田中れいなは、どんどん頭角を現していった。ちなみにこの曲での見せ場は最後の「シャボン玉~」くらいだ。
その直後に行われたモーニング娘。さくら組・おとめ組という分割ユニットにおいて、道重さゆみは田中れいなと同じくおとめ組に所属するわけだが、正直そんなに目立ってはいなかった。
「友情~心のブスにはならねぇ!」というシングル曲でようやくそれなりにパートをもらった程度だ。
デビューから1年程度経過した2004年時点で、田中れいなは既にエース格メンバー、亀井絵里はちょっと大人しいけど、それが男の「守ってあげたい願望」を刺激して特にファンからは人気が高かった(ちなみに僕もその頃、えりりんに夢中であったw)。
対して、道重さゆみはと言うと、例えば当時からテレビで「今日もかわいい」とナルシストキャラを出していたりしたが、正直パッとしなかった。
当時はそれなりに娘。ファンの友達が多かったが、道重ファンって本当に数人しかいなかった。
まあビジュアル的にはそれなりにかわいいのだ。ただ、致命的弱点があってそれは歌唱力だった。
涙が止まらない歌唱力
当時のモーニング娘。オーディションで、最後は合宿(初期は寺合宿)があった。そこでは歌とダンスのレッスンが集中的に行われる訳だが、これが凄かった。メロン記念日の「赤いフリージア」が課題曲となっていて、菅井先生からものすごく厳しい指導を受ける。
菅井先生「にゃーお!って言える!!」
道重「言えません、、、」
文字にするとアホなやりとりに見えるが、これがなかなか凄い。先日おしゃれイズムに出演していて、この映像が流れていたのだが、まさか10年後に再び目にするとは思わなかったw
そして、この時歌った赤いフリージアも「さゆージア」などと言われ話題になる。何が話題かって、その歌唱力だ。
当時のモーニング娘。は忙し過ぎたこともあり、ボイストレーニングも満足にできていなかった事が後に明らかになって、歌えないメンバーがいつまでも歌えないのも当たり前だと納得したが、当時は結構謎だった。
その歌えないメンバーの筆頭は現テレビ東京アナウンサーの紺野あさ美、そしてもう一人は道重さゆみだ(石川梨華はこの頃随分マシになっていたw)。アイドルにおいて歌唱力っていのは、一番重要な要素じゃない。ただ、やはりある程度の力は必要だと僕は思うが、多分当時の2人は素人目に見ても一般人より下手だった。
なのだが、そんな2人がメインとなった曲がある。24thシングル「涙が止まらない放課後」だ。
僕は紺野あさ美も好きだったのだが、さすがに涙が止まらなかったw
基本は紺野メインで、石川・藤本・道重がサブという状態だったのだが、藤本美貴が歌うとホッとするんですよ。そんなシングル曲どうなんよ!と、ファンですら突っ込んだ、迷曲だ。
この曲もあって「道重さゆみ=歌えないメンバー」というイメージは定着したと思う。
モーニング娘。低迷期(=プラチナ期)に行われた現在に繋がるスキルの底上げ
その後、一般的にモーニング娘。と聞いて誰もが知っているメンバーがどんどん卒業していく。
ターニングポイントは2007年じゃないかと思う。全盛期を支えた最後の4期メンバー吉澤ひとみが卒業し、直後にスキャンダルで藤本美貴も脱退。リーダーは5期メンバー高橋愛になり、結果的に世代交代が一気に進む。
ただ、それは同時にモーニング娘。自体が低迷期に入る事も意味した。今でこそプラチナ期などと言われこの頃の活動が見直されているが、それまで年間数十本ハロプロ系のライブを見ていた僕が、この頃からほとんど見なくなった。2008年~2010年は本拠地とも言える、東京近郊に住んでいたにもかかわらず、多分2回しか見に行っていない。友達にもそう言う人が多かった。交友関係が切れてしまった人も沢山いる。
そういう時代だった。
だから、2007年から2010年くらいまでの活動って言うのはほとんど知らない。語るほどのものは持ち合わせていないのだが、後追いで動画とかを見るとキーワードは何となく分かった。「パフォーマンス」の追求だ。
高橋愛は元々宝塚に憧れて芸能会入りしたので、歌やダンスのスキルが非常に高かった。そんな人がリーダーになった影響なのか、いわゆるアイドルっぽい演出が減り、ダンスや歌を見せるというステージが多くなっていたように思う。僕がよく見ていたモーニング娘。ライブというのは、口パクなんてザラだし、ダンスもみんなが真似しやすい振り付けで、しかも端っこのメンバーは明らかに手を抜いてるってことも珍しく無かった。
そういうのが全く無くなっていた。これには正直驚いたし、逆に言えばこの期間道重さゆみは相当苦労したんじゃないかと思う。歌は言うに及ばず、ダンスだってそれほど得意じゃなかったからだ。しかし、この時代があったからこそ今に繋がっているのだろうなと思う。そして、道重さゆみにはもう一つの顔がある。バラエティだ。
ソロラジオとバラエティー出演とアイドルとしてのイメージ
2006年から始まったCBCラジオ制作の「モーニング娘。道重さゆみの今夜もうさちゃんピース」というラジオ番組がある。
2004年くらいまではモーニング娘。メンバーのラジオは数多くあったが(矢口のオールナイトニッポンスーパーとか)、この頃にはほぼなくなっていた。そんな時に始まった新番組なので、僕もよく覚えていて当時結構聴いていた。これ、数年前にまだ続いていると知って驚いたのだが(今も続いていて卒業に伴い終了する)、当時から面白いんですよ。
これを聴いてて、「道重は矢口級にバラエティ行けそうだなぁ」なんて思っていたわけだが、しばらくするとバラエティ番組でちょこちょこ見かけるようになる。最初は、矢口とかのバーターっぽい感じだったが、いつの間にかソロで出演している。しかも、毒舌&ナルシストキャラでかなり人気が出ている。最近は「モーニング娘。メンバーと言えば道重さゆみしか知らない」って言う人結構多いが、気がつけばモーニング娘。で断トツの知名度を誇るメンバーになっていた。
ただ、こういう状態になると歌が上手いとかそういう話はおいといて、「ソロデビュー」なんて話が出るのが通常と思う。だが、そういう話は一切無かった。道重リーダーが誕生して、その理由はいくらソロ活動が充実しても、モーニング娘。を大事にしていたからなんだなと思ったが、当時は結構謎だった。
そして、ドラマでの演出に関して文句を言ったとして一時期干されていたような時期もあったが、これもモーニング娘。というグループを含めた、アイドル(偶像)としてのイメージ滅茶苦茶大切にしていたからなんだと思う。
道重リーダー誕生とその後の躍進
道重さゆみがモーニング娘。リーダーに就任したのは、2012年5月の話だ。最後の5期メンバー新垣里沙の後を引き継ぐ形で就任した。
以降発売した8枚のシングルは全てオリコントップ3入り。5作は1位も獲得。まさに、モーニング娘。復活の立役者とも言える。楽曲的にもフォーメンションダンスという新たな武器もあり、万人受けではないが近年星の数ほどいるアイドルとの差別化には成功した。
特に道重リーダーとなった第1作「One・Two・Three」っていうのは、今でもライブで人気のある楽曲だが、僕も含めてかつてのモーニング娘。ファンを振り向かせた楽曲なんですね。ちなみに僕は、その前の「恋愛ハンター」をたまたまテレビで見てなんか娘。の曲がちょっと面白いと思って、次は注目かもと思っていた時だった。
楽曲はやはり重要だ。ただ、楽曲は多くの場合アイドル本人が作るものではないので、その楽曲の魅力をどう高めるかがアイドルの魅力に直結すると思う。そういう部分が、道重さゆみって抜群。これこそが道重リーダー最大の強さだったと思う。
アイドルのステージとして魅せる歌
道重さゆみ楽曲の代表とも言えるのは、13枚目のアルバム「13カラフルキャラクター」に収録されたソロ曲「ラララのピピピ」じゃないかと思う。
これ、楽曲だけ聞いたらいかにもアルバム曲って内容なのだが、生で見るとその印象はガラリと変わる。曲の雰囲気、歌、振付、そして本人のパフォーマンス全てが相乗効果のように昇華して、ものすごく盛り上がるし・かわいいし、思わず「さゆみん、かわいい~!」って言いたくなるw
他にも、「彼と一緒にお店がしたい!」や
ラストシングルでトリプルA面となっている「シャバダバ ドゥ~」とか、
長年一番好きな曲と言っていて、おそらく横浜アリーナ公演の最後はこれを歌うんじゃないかと思っている「歩いてる(updated)」とか、
「道重ワールド」全開の曲はかなり沢山ある。
一応補足すれば、歌唱力自体は昔に比べたら遥かに向上しているが、決して上手いわけじゃない。現メンバーの中で見ても、下から数えた方が早いと思う。だが、アイドルの歌ってそれだけじゃないんだなぁと、これらの曲のステージを見ると納得してしまう。
デビュー直後のアイドルにありがちな、いかにもやらされている感があるわけでなく、これは12年の活動の中で本人とスタッフが生み出した、職人芸でありある意味芸術とも言えるものかもしれない。ここまでやり切れたら、すごいの一言だ。
終わりに
長々と書いてきたが、僕はデビュー以来道重さゆみのファンだった事はない。いわば、にわかファン、限定道重だw
ただ、モーニング娘。ファンとして道重さんにはものすごく感謝している。なんか「ありがとう」としか言いようがない。今年春ツアーと今行われている卒業ツアー2回ライブに足を運んだのだが、昔の友達に結構沢山再会した。
1人を除いたら、僕を含めて1度はモーニング娘。というかハロプロから離れた人だ。
そういう人を、再び呼び込むくらいモーニング娘。を盛り上げてくれた。彼らに共通しているのは別に道重ファンになって戻ってきたわけじゃないんですね。今のモーニング娘。に再び魅力を感じて帰ってきた。
これって凄いことですよね。メンバーもそうかもしれないが、2007年辺りから何だか見るのが辛くなって、離れていったファンは多く、そういう人を呼び戻すのは新しいファンの獲得より難しいと思うからだ。
そして、ライブに行くと驚くのだが女性のファンが凄く多いんですね。そういう人の多くは道重Tシャツを着ていて、ファン層の広さと色んな人を集めているのだなぁと感じる。
ある意味この世界にまた引き込んだ迷惑な人とも言えるのだが、全盛期と低迷期を知り、リーダーとして再びグループを盛り上げた功績はものすごく大きい。これは歴代メンバーの誰もやってないことだ。
約12年という人生の半分をモーニング娘。に捧げてきた、道重さん。卒業後は芸能活動を休止する予定らしいが、先日足を運んだ広島公演を見て本当にやりきって、卒業するんだなと感じた。
それくらい自信に満ちていたし、かわいかった。アイドルとしてここまでやりきった人って珍しいと思うので、最後のステージを生で見ることができて本当に良かった。
モーニング娘。はこれで9期以降のメンバーに変わり、2回目の完全なる世代交代を迎える。
それでも、モーニング娘。魂みたいなのはきっちり受け継がれて行っているのは、数年ぶりにライブを見てもよく分かったので、これでグループがどうこうなるという心配は全くしていない。だからこその卒業なんだなと思ったので。
むしろこの後のモーニング娘。の方が楽しみとすら思えてくる。横浜アリーナの卒業コンサートには行けないが、ライブビューイングという形で岡山からそのステージは見届けようと思う。
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モーニング娘。関する最新ライブレポート
2000年頃からのハロプロファンですが、一時期遠ざかり2014年以降再び年に2回程度のペースでライブを見に行っています
最近行ったライブのレポート記事です。
2001年頃からのモーニング娘。ファンです
2001年からモーヲタテキストサイトを運営していたので、当時の記事を徐々に移行しています。
最古の記事は2001年秋ツアーのライブレポートです。