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5年かけて「普通の人」に戻ったので、働き続けられる仕組みを作りたい。震災の日に思うこと

震災の日

3月11日は東日本大震災が発生した日だ。

僕は震災が発生した当時、岡山に住んでいたが、前年となる2010年9月までは千葉県に住んでおり、液状化現象などが発した、幕張勤務だったので他人事とは思えなかった。

またこの当時僕は、

うつ病による休職期間中

だったこともあり、いろんな意味で『自分の無力さ情けなさ』を思い知らされた出来事でもあった。

この思いがその後の活動のベースになったともいえ、

あの時から僕は成長できたのか?

というのを毎年考える日でもある。

この記事の掲載内容は、2021年1月3日時点の情報です。現在の情報とは異なる場合がございますので、あらかじめご了承ください。

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2011年の東日本大震災発生当時の僕

2011年3月11日は、冒頭に書いたとおり僕はうつ病による休職期間中だった。

こんな大変な時に、僕は何やってるんだろう

と思ったし、無力感も感じたが、無理なものは無理。

こんなんじゃダメだ。世の中に貢献できるように頑張ろう

なんて意識高いことを思ったわけでもなく、被害の映像が流れる中、被害の酷さや原発事故など、非日常的過ぎて逆に冷めた感じもあり、日々を淡々と生きていた。

ただ、この時傷病手当金を受け取るなど、『完全に社会に支えられる側』になってみて思ったことはあって、

元気なうちは働き続きつづけよう

ということだった。
楽しく生きるためには、お金があるだけではダメで、『働く』ことの重要性を実感したので、この頃から『定年退職』には全く興味が無くなった。

定年なんて関係なく、動ける限りは働いて、動けなくなったときは、年金など全力で社会に支えてもらおうと思った。

大震災から7年間でやってきたこと

2011年以来、当たり前だが色んなことがあった。

仕事に復帰し、なんとか元の自分を取り戻し、会社員として普通に働けるようになったなどもあるが、プライベートを見ても、

など、様々な出来事があり、楽しいことも苦しいこともたくさんあった。

ただ、通院や投薬が完全になくなった2012年から1年経った2013年以後は、僕の中で毎年テーマをもって生きてきた。

一気にはできないので、段階的に守備範囲を増やして来た

結果色んなことができるようになったかなぁ、とは思っている

ようやく『普通の人』になりました

そして、2017年は個人的に大きな転機の年だった。

投薬や通院が終わった2012年から『5年』経過した

なんのことだろうと思うだろうが、例えば、

  • 健康保険の加入
  • 各種ローン

などの契約における『告知義務』により、かなり制限を受けていたがこれがようやく外れた。

僕は2013年にマイホームを建てたが、一番苦労したのが住宅ローンだったわけで、『限定型』と言われる不利な条件を受け入れざるを得なかった。

この時、

自分では治ったと思っても、社会は認めてくれないんだな

と思ったものだ。

『病人』なんだと思って暮らしてきたし、ある意味それは『逃げ』にもなったが、それから遂に5年経ち制限が外れた。

晴れて『普通の人』に戻れた

嬉しいことだが、同時に厳しい目にもさらされることになる。

2017年は転機の年だった

終わりに

普通の人に戻った、2018年は挑戦の年になる。

自信があるかと問われたら正直よく分からないが、なんとか頑張れるかなと今は思っている。

うつ病になっていた2011年当時と大きく違うのは、

  • 子供など家族がいて
  • ブログやイベントを通じて知り合ったたくさんの仲間がいる

ということだ。

特にイベントを通じた『居場所作り』にはこだわって来たし、不安は案外無い。

講師をするチー

まあなんとかなるっしょ

と思いつつ、元気なうちはずっと働き続けられる『仕組み』を作って行きたいなぁと思っている。