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友人の死から1年、改めて思うこと。そして私の決意

大学時代の友人が亡くなって1年が経過した。

この話を聞いたのは去年の9月4日。僕の結婚式の後だった。当時僕は忙しかった仕事もようやく終わり、結婚式も終わり、いろんな意味で一区切りがついた時。

そして、殆どの人には話をしていなかったが、うつ病による体調不良もピークでいろんな意味でギリギリの状態だった。そんな時に友人の死の話を聞いた。

この記事の掲載内容は、2018年12月21日時点の情報です。現在の情報とは異なる場合がございますので、あらかじめご了承ください。

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特別な存在だった「大学時代の友人」

こんなタイミングってあるのかと思うくらいのものだったが、逆にそれによって友人たちへの連絡・同窓会の企画・墓参りと次なる目標ができた事で、多少自分を奮い立たせることができた。それが終わった後、結局休職することになったが。

彼は自ら命を絶った。

思えば彼もうつ病だったんじゃないかと思う。色々考えるタイプだし、人付き合いがあまり得意でなく内に篭ってしまう。

僕は何度も声をかけたが、決して住んでいた富山から出てくることはなかった。僕も含めた友人と交流する機会を持てば、こういうことにはもしかしたらならなかったんじゃないかと思っている。なぜなら、僕が友人達に救われたと思っているから。

大学時代の友人というのは僕にとっては特別な存在だ。社会人になってから数年間はほとんど会うこともなかったが、数年ぶりにあっても一瞬で打ち解けられるのは大学時代の友人だけ。

社会人になってからの友達ももちろん沢山いるが、やはり仕事の話が中心になるし、会社という共通項がなくなった瞬間に交流が無くなってしまう。だから、本気で腹を割って話せる人には案外会えない。彼もそうだったんじゃなかろうか。

自身がうつ病に苦しむ中で発生した友人の死

それでも、死ぬという結論を出したのはやはり最低だと思う。

彼だけならまあいいのかもしれない。
ただ、本気で涙を流して悲しんでいるご両親を見ると、彼はとんでもない親不孝者だと改めて思った。

正直言えば、仕事にやる気も起こらず、SE職にも限界を感じ、未来が見えなくなっていた頃、一瞬だけだが「死」というものが頭をよぎったことがある。

それでも、結果そういう選択をせず、今元気になれたのは、彼の家族が悲しむ姿を見たからであり、僕自身の家族や友人の存在のおかげだ。

そういう意味で、都合のいい捉え方だが、彼の死は僕にとって大きな意味があった。

彼がWEBで日記を書くという楽しさを教えてくれたことを思い出して、ブログを再開するきっかけを与えてくれた。結果、Apple系ブログとして一応の復活を遂げられた。

しがないSEでIT業界で仕事をすることに限界を感じていたが、彼の残したECサイトの運営を通じて、僕にもできることがあると自信を取り戻させてくれた。

徐々に復活の兆しを見せていた、大学時代の友人の交流が一気に花開きつつある。本当なら、彼もその中に入って欲しかったが、、、

終わりに

少なくともここ1年の僕は、彼のおかげでここまでやってきたくらいに思っている。なので、非常に感謝している。これからもその気持ちを持ち続け、ブログも続け、仕事も続けることが彼の供養になると思っている。

その為にも、僕は頑張る。