2018年7月31日をもって、2008年4月に中途入社した、ピープルソフトウェア株式会社を退職しました。
うつ病による休職期間4か月を除くと、「ジャスト10年」働きました。
2002年4月から社会人になり、以来システム業界で働いてきていましたが、ピープルソフトウェア株式会社は「3社目」です。
他業界ではまだまだ転職なんていうと、驚くこともあるでしょう。
ですが、システム業界において「転職」はわりと日常茶飯事なので、正直「せいぜい5年だろうな」と思いながら入社しました。
結果的に10年間お世話になってしまいました。
僕にとっては居心地のよい会社でしたし、退職したのも強い不満があったからではありません。
この記事では、それでも退職することにした理由と、これからピープルソフトウェア株式会社に入社しようと思っている人に、「中の人だった」立場で魅力を伝えられたらと思い記事にしました。
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ピープルソフトウェアで携わったシステム開発の仕事
2008年4月に入社し、10年間働いてきました。
ちなみに言うと、入社のキッカケは「誘われたから」です。引き抜きというほど大層なものではないですけど。
入社後10年のうち、大きく分けると最初の2年半と、残りの期間に分かれます。
期間 | 業種 | 勤務地 |
---|---|---|
2008年〜2010年 | 特許管理パッケージシステム開発 | 岡山・東京 |
2011年〜2018年 | 大手教育企業向けシステム開発 | 岡山 |
具体的な取引先企業名は敢えて書かないですが、コーポレートサイトの「主要取引先」を参照しつつ、「察して」いただけたらと思います。
つまり、僕がこの会社で主に携わったのは「大手教育企業向けのシステム開発」です。
数多くの一般ユーザーが触れるフォームなどWEBシステムから、バッチ中心の基幹システムなど、色々関わりました。
その中には「大規模PJ」なんかもありまして、第1子が生まれた2013年はまさにその時期でした。
いわゆる「デスマーチ」で大変でした。
ピープルソフトウェアでの仕事は、決して楽なものばかりではなかったです。
実際、僕は東京での仕事でうつ病になりましたし、社員で同じような「心の病」を患う人は、少なくありません。
今はシステム業界も多様化しており、いわゆる「SIer」と呼ばれる業種は、ブラック企業の温床と言われたりします。
確かにそういう面は今でもありますし、他社を見るとそういう雰囲気を感じることは珍しくありません。
上を見ても、下を見てもキリがないですが、ピープルソフトウェアはそういう部分では、かなりマシで、非常にしっかりした会社だと思います。
組織で働く意味を教えてくれた会社
正直に言えば、2015年あたりで僕は会社を辞めようと思っていました。
ブログを通じた収入(アフィリエイト収入)がそれなりにありましたし、当時でも「岡山スマホユーザー会」の運営を通じて、会社に全く依存しない人脈を構築できていました。
それでも辞めなかったのは、僕が尊敬し、一番お世話になったと思っている上司に恩返しがしたいと思ったからです。
うつ病で休職したりして、一番迷惑をかけた方だと僕は思っているので。
その方とは、2011年頃から上司と部下という関係で、様々な開発案件を一緒に仕事しました。
僕は担当の立場なので、わりと言いたい放題言います。顧客企業に対して普通は言いにくいことを言ってくれとお願いしたり、残業はできないからと早く帰ったり、、、
ですが、どんな時でも守ってくれました。
わりと多いんです。特に大規模PJでは、進捗遅れなどを他社に責められた結果、自社のリーダーが「敵」になってしまうことは。
上から目線の「業務命令」って、部下は絶対イラッときますよね
その方は、絶対味方でいてくれました。
深夜残業、休日出勤が必要な時もありました。そんな時も毎回、
「すまん。できればもうちょっと頑張ってほしい」
と言ってくれました。
これだけでも、部下としては印象が全く変わりますよね。そして、指示するだけでなく、最後まで付き合ってくれました。
考えようによっては、そういう姿勢が残業を増やしたとも言えるかもしれません。
ですが、僕はこれこそが組織で仕事をする最大のメリットであり、リーダーの理想像だと思いました。
性質は違っても、僕がリーダーという立ち位置になる、岡山スマホユーザー会・岡山ブログカレッジなどのイベント運営において、僕はこの姿勢を忘れないようにしています。
開発の仕事をする上で、スキルはもちろん重要ですが、特に企業向けのシステム開発は、1人のスーパーマンがいても案外うまく行きません。
組織として団結して戦えるか
が重要と僕は思ってます。
単純な「動員力」は従業員の多い会社に負けますが、「組織として団結できる」という意味でピープルソフトウェアという会社は、他社にない強みを持っていると思っています。
そして、そういう考えの上司が、複数人いたこと。
これは本当に心強かったです。
基本的に「自由」
ピープルソフトウェアは10年以上前から、
- フリーアドレス(会社の座席を固定しない)
- 私服勤務OK
- フレックス勤務
など今ではわりと普及してきたワークスタイルを、早い段階で導入していました。
マストではないですが、これらも働きやすい風土を作る一因だったと思います。
かつては、会社の会議室でWii大会やったり(Wiiという言葉で時期を察してください)、わりとやりたい放題でした。
あの頃と比べると、少し自由な風土はなくなってきた印象もありますけど。
ただ、リアルで会った人には結構聞かれたことがあります。
「チーさんはSNSにブログのことめっちゃ載せてるけど大丈夫なの?」
と。
特に大企業の方は、個人ブログをやっていても、ほぼ100%の人が会社の人には内緒にしています。
だから、特にFacebookには絶対掲載しないわけですが、僕はFacebookでもフルオープンで公開します。
- 比較的まともな内容の、ガジェット記事
- イベント開催情報
- ゴミクズの固まりとも言える、アイドル記事
など、例外なく全てです。
それで直接何かを言われたことはないですね。逆に言えば、いいねの1つも付きませんが、案外見てる人は多かったようです。
最初はただのホームページ運営だったのが、ブログもイベントも副業的な位置付けになり、正直会社からは目を付けられていたと思います。
ですが、許容してくれたのは、基本的に自由な空気感のせいなのかなと思ってます。
ピープルソフトウェアを退職する理由
僕もシステム業界で10年以上働き、それなりの技術・ノウハウはもちろん、人脈もできているので、
「うち来ない?」
なんて声をかけられることは結構ありました。
ですが、全て断りました。
かつては大企業に就職したいと思ってましたが、そういう願望もなくなり、
- 大企業で所得も高く、安定しているけど、縛りが強い
- 中小企業だけど、わりと自由
を比較した場合、僕には圧倒的に後者が向いていると思ったからです。
会社員末期は、
と言ってました(笑)
それでも辞めることにしたのは、いくつか理由があり、言えること・言えないことありますが、一番大きいのは、
数十年先の将来を見据えたときに、色々実験するなら今しかない
と思ったからです。
会社員というほとんどの人が選択する生き方から外れるのは、とても怖いです。
ですが、38歳の今なら1度外れて、数年やってダメだったとしても、まだ戻ってこられる余地はある。
と、思ったので、40歳手前というこのタイミングで、会社員を卒業する決断をしました。
終わりに
「卒業」という表現、アイドルがよく使いますが、アイドルヲタクということもあり、僕はとても好きなんです。
巣立つけど、いつか帰ってくる場所になる可能性もある
そんな表現だと思うからです。
奇しくも有給休暇消化期間だった2018年7月に、僕が住む岡山県倉敷市で豪雨災害が発生しました。
普段だったら頼まれても足を運ぶことができなかったでしょうが、このタイミングだから足を運び、自己満足でも「地元の役に立てている」という充実感が得られるわけです。
そういう意味で、巡り合わせのようなものは感じましたし、これからどうなるか分かりませんが、自由なスタンスで頑張って行こうと思っています。
ピープルソフトウェア在籍中にお世話になった皆さま、ありがとうございました。
ピープル、とてもいい会社でした!