「昭和54年生まれの男性」である僕は、2020年が「厄年(本厄)」
正直、あまりこういうものを信じないタイプなのだが、妻はわりと信じるタイプで、たまたま同じタイミングで厄年だったこともあり、厄除けには行っていた。
その時、ちょっと印象的な言葉を聞いた。
「なるほど、そんな考えもあるんだな」と思ったが、本厄の2020年「大きな役」を与えられることになった。
「一般社団法人高梁川流域学校」の理事就任
この記事を書いている、2020年7月31日は会社をやめて独立して「ちょうど2年経つ日」だが、改めて思うことなどを綴ってみる。
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厄年の歴史
2019年は「前厄」だったのだが、ここでも新たな役についた。
といっても、これは「自分で作ったもの」だが。
年 | 就任した「役」 |
---|---|
前厄:2019年 | 一般社団法人はれとこ 代表理事 |
本厄:2020年 | 一般社団法人高梁川流域学校 理事 |
後厄:2021年 | ?? |
来年(2021年)は何をすることになるんだろうと震えつつ、随分立ち位置が変わってしまったことに我ながら驚く。
一般社団法人高梁川流域学校とは
今回新たに就任した「一般社団法人高梁川流域学校」という組織。
この話を最初に打診されたのは、確か2019年末頃だったと思うが、サラッと聞き流していた感じだった。
理由は主に2つ。
1つ目は、話を聞くまで何をやっている組織なのか、何も知らなかったこと。
もう1つは、少し詳しく話を聞くと、歴史は5年程度と短いが、長年地域のために、様々な活動をしてこられた方が集まる組織だったため。
など「倉敷とことこ」の取材で知ったが、これらの活動と比較して倉敷とことこなんて「新参者」。
理事として外向けには肩を並べた感じになるのは、さすがに恐れ多いと思った。
倉敷とことこの目標は「地域愛を持続可能な事業」にすること
ただ、基本思想は近いとも思っていた。
期間が長いから偉いものでもないが、地域に根ざした活動は、「ちゃんと続ける」ことの方が難しいし大切だと僕は思っているからだ。
だからこそ、「倉敷とことこ」開始にあたって「ちゃんと続ける」ことは常に意識していた。
実際今も、「僕がいなくなっても(死んでも)続く仕組みにするには、どうしたらいいのか」ばかり考えている。
僕はアイドルヲタクでガジェット好きなので、元々は都会志向。「地域愛」とは対極にいたわけで、
地元・地域のためになるから
という言葉は、必ずしも「刺さる」わけではないということは理解しているつもり。
- ある程度お金になること
- 強い縛りをつけないこと
この方が重要だと思っていて、「倉敷」だけにこだわっていたら、長期的には先細っていくだろうと思っていた。
高梁川流域という枠組みで「もう一つの居場所」を作る
僕のインターネット上における活動は色々あるが、共通したテーマは「もう一つの居場所作り」。
- 個人ブログ
- 岡山スマホユーザー会
- 岡山ブログカレッジ
これらは全て同じ考えで運営しており、家族・会社とは関係ないコミュニティが、救いになることもあると信じているからだ。
ただ、ネットはあくまでネット。
現実世界を変えようとしたとき、「近すぎず、遠すぎず」みたいな距離感が、ちょうどいい。
一般社団法人高梁川流域学校の代表理事に就任した、坂ノ上博史さんが「流域」という考えについて、意訳すると以下のように語っていて僕はその話に納得した。
ひとつの自治体だけで考えたら、資源や人脈も、どうしても限られたものになる。
これが、高梁川流域だと文化が共通していて距離感も遠すぎず、ちょうどいいんです。
「ちょうどいい」という感覚
僕のなかで具体例がなかったのだが、この話を聞いて「高梁川流域」という考えに乗ってみようと思った。
ちなみに、高梁川流域というのは、岡山県西部を流れる一級河川「高梁川(たかはしがわ)」の支流を含む、流域自治体のことで、以下を含んでいる。
- 倉敷市
- 新見市
- 高梁市
- 総社市
- 早島町
- 矢掛町
- 井原市
- 浅口市
- 里庄町
- 笠岡市
高梁川流域学校の理事として取り組むのは「とことこ」のシリーズ化
というわけで、一般社団法人高梁川流域学校の理事就任が決まったのだが、ここでやることは基本的に、今までの取り組みの延長線上。
地域メディア「倉敷とことこ」の運営がメイン。
ただ、地元紙「山陽新聞」にも掲載されたが、「とことこ」のシリーズ化も行うつもり。
実は、第2弾メディアは本件関係なく進めていた。
広島県福山市・尾道市、岡山県笠岡市をメインエリアとした「備後とことこ」
これで打ち止めの予定だったのだが……
とは思っている。
ただ、ちょっと活動領域を広げすぎているとも感じているし、「友達繋がり」での運営スタイルも、ここまで広がると厳しくなる。
- 「楽しく」続けるために、チームとしてみんな仲良く運営したい
- 「品格」を保つために、締めるところは締める
このバランスを取るのは難しい。
これから色々あるだろうな、と思っている。
終わりに
会社をやめて独立して2年。
基本は来るものを拒まず、去るものを追わず、流れに逆らわないスタイルで生きてきた。
「会社員」という枠組みを抜けることは、そういうことだと僕は思っているので。
結果、2年前に想定していた姿として予想通りなのは、「子育て」を中心に据えた生活スタイルだけ。
- 個人ブログのアフィリエイトで「まだ」生活できている
- 地域メディア運営が仕事になりつつある
この未来は想像していなかった。
40歳までなら色々やって、ダメならまた会社員に戻ればよいと思って働いて来た。
何とか生き残れたし、まだやっていけそうな手応えは感じているので、もうしばらくこのスタイルで頑張って行こうと思う。
例えば出世して役職につくなど、新しいことを始めるのによい年なんです。